こんにちは、いちまるです!
みなさま、お金は好きですか?
人はある程度経済的豊かさが満たされると、それ以上にお金が増えても幸福度が大きく上がることはないというデータがあります。
隣の芝生が青く見えて「自分も」と背伸びをして居心地悪く感じてしまったのなら、他者と比較することはやめて、自分にとって本当に“必要なもの”が何なのかを見極めることから始めるのがいいかもしれませんね(*’▽’)
人はお金がいくらあれば幸福を感じるのか
「幸福」は、お金とどう関わっているのでしょうか。
アメリカの経済誌『Forbes(フォーブス)』に登場する、世界の長者番付にのる方たちの精神的満足度を調査した報告があります。
それによると、そのようなお金持ちの37%は、平均的な所得のアメリカ人よりも満足度が低く、実はお金持ちでも、人生に満足しているとはかぎらないことがわかりました。
これは…意外なところかもしれませんね。
では、私たちはいくらあれば、幸福を感じるのでしょう??
1億円あれば幸福かといえば決してそうではありません!
大事なことは、願望ではなく、自分にとって必要なお金がどれくらいかを知ることです。
そこをきちんと見極める必要があります!
必要なお金は人によってちがいます。
大事なことは、冷静に自分を見つめ、何が必要かを見極める。。。
感情的になるのではなく、自分と向き合い、自分を知ることです!!
フランス人とお金の関係
以前、フランス人の方から、「フランス人は宝くじが当たっても最高級の三つ星レストランには行かない」という話を聞いたことがあります。
もし宝くじが当たったら、「自分たちの行きつけの店で最高のワインを飲んで一番美味しい料理を食べる。それが一番、心地いいから」と。
いかがでしょうか?
納得できる方、納得できない方いるかもしれませんが、こういう考え方もあるんです!
これまで私たちは、ものが豊富にあれば、外的な条件がたくさん揃えば幸せになれると思ってきました。
高級車を1台買えば幸せになると思って、それを求めてきました。
ところが、それに合わせて全部を変えているうちに、知らぬ間に自分にとっての心地よいものを手放してきたのではないでしょうか。
現代社会は、グローバル化が進み、ものも情報もあふれています。
だからこそ大事なのは、自分が本当に心地よく生きるためには何が必要かを、しっかりと見極めて必要なものを選び取っていく力だと思います!!
他者と比べて不幸を感じるという不幸
お金持ちが多く住み、かつ貧しい方も住んでいるという収入格差の大きい州と、お金持ちではないけれども、だいたい同じくらいの所得の人が住むという州の幸福度を比較したアメリカの調査があります。
その結果は、収入格差の大きい州ほど幸福度が低いと出ました!
経済的豊かさと人生の幸福度・満足度に関する調査を確認してわかったことは、多くの方は他者と比べるなかで幸・不幸を決めているということです。
人は、他者との比較のなかでしか幸福を感じられないのでしょうか。
私は、そうではないと思います!!
では、どうしたら自分で幸せを見出し、生み出していく「幸福力」を高めることができるのでしょうか?
自分にとって必要なものと願望とをしっかり区別している方は、他者と比較しません。
大事なことは、自分にとって必要なものがあるかどうかであり、なければ手に入るように努力すればいいだけの話。他者と比較することはありません。
自分にとって必要なものがわからないから、まわりと比較して「あの人はもっているのに」「隣のほうが上だ」などと思ってしまう。
つまり、自分のアイデンティティーが確立していない方、自分の生き方が明確でない方が比較してしまうのだと思います。
視野を広げて客観的に自分を捉える方法
とはいえ、アイデンティティーや自分の生き方を確立していくことは一朝一夕でできることではありません。
そこでお勧めしたいのは、「頭上のオレンジ」と呼ばれるアメリカ発のカウンセリングで行われている方法です。
頭の上にオレンジが1つのっていると想像し、そのオレンジから周囲を見ていると仮定する。
自分の普段の目線を少し上にもっていくようにイメージするのです!
そうすることによって、視野が広がり、客観的に自分を捉え、冷静に物事を考えるきっかけになります。
そうやって自分自身を見つめていくことで、次第に自分にとって本当に必要なこと、進みたい道が見えてくるのではないでしょうか。
また、自分は生き方に誇りをもち満足していても、ときとして、他者に「あなたは○○さんに比べてみじめね」などといわれる場合があります。
そんなときも動じることはありません。
相手の指摘が正しければ、努力すればいい。
でも自分らしく努力して一生懸命生きているときにそう言われたら、闘うことです。
堂々とすることです。強い覚悟をもたなければいけません。
そのときにめげるというのは、自分で自分を蹴り飛ばしているようで、自分にも失礼なことなのです。